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あの人も大動脈瘤・解離だった

  • アインシュタイン
  • 司馬遼太郎

あの人も大動脈瘤・解離だった

アインシュタイン

ノーベル物理学賞を受賞した天才物理学者、アルベルト・アインシュタイン。新たな理論の構築に没頭する中、腹部大動脈瘤破裂により76歳でこの世を去りました。

学校では落ちこぼれだった「天才」

アインシュタインは、1879年に南ドイツのユダヤ人の家庭に生まれます。5歳頃までうまく話すことができず、知識をアウトプットすることに時間を要する子どもでした。学校では「学習障害」に悩んでいた一方、数学に対する興味は深く、12歳の頃に幾何学の本を借りて独学で微分学と積分学を習得したともいわれています。

輝かしい研究活動と「超ズボラ」な私生活

彼が脚光を浴びるきっかけになったのは、なんといっても「相対性理論」でしょう。そのほかにも、量子力学、光電効果など様々な研究を通して、世界や宇宙を変えたといわれています。しかし、そのめざましい功績とは裏腹に、私生活はかなりの面倒くさがりで、洗濯用石鹸で洗顔し、雑巾で顔を拭くような、常識はずれの一面があったといいます。また、愛煙家としても有名であり、大学生の頃からパイプを手放しませんでした。

逆境に立たされた晩年

1930年代、アインシュタインはナチズムによる暗殺の脅威を感じ、アメリカ合衆国に亡命します。その後、「相対性理論」を応用した原子爆弾の威力を目の当たりにしたことを機に、核兵器の反対運動に注力し始めます。そこでのトラブルなどにより、FBIに監視される生活が始まりました。
そして69歳のころ、手術でアインシュタインの腹部に大きな動脈瘤があることが判明します。しかしながらアインシュタインは懸命な努力を続けました。胃痛のためにこよなく愛したパイプもやめ、新たな理論(統一理論)の構築に没頭します。そして1950年、ついに研究内容を発表しますが、まわりの科学者からは全く評価されませんでした。

アインシュタインの疲労やストレスは徐々に蓄積していき、76歳になって間もない1955年の春、大動脈瘤が破裂して倒れ、4日後には帰らぬ人となりました。息を引き取る瞬間も、枕元には計算式が並ぶ一枚の紙が置いてあったそうです。

  • 参考:「90分でわかるアインシュタイン」ポール・ストラザーン著、浅見昇吾訳(青山出版社)
  • 「湯川秀樹とアインシュタイン」田中正著(岩波書店)

司馬遼太郎

数々の作品が映像化され、現在も不動の人気を誇る小説家・司馬遼太郎。身体の不調を感じながらも執筆を続け、腹部大動脈瘤破裂により72歳でこの世を去りました。

文学にうとかった「青年時代」

1923年大阪市に生まれ、大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)蒙古学科を卒業後、産経新聞文化部に勤めます。1960年、『梟の城』で直木賞を受賞し、以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表してきました。代表作に、『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂の上の雲』などがあります。 これほどたくさんの「名作」を生み出しながら、若い頃は文学にうとく「太宰治を‘ダザイ・ジ’って読んでた」と文学青年でなかったことを周囲に話していたようです。

極端なほどの偏食家、かつ愛煙家

司馬は好き嫌いが激しく、特にトンカツには目がなかったようです。伝記集「街道をゆく」の取材旅行で、土佐・壱岐といった鮮魚の豊富な場所へ行ってまで、トンカツやカレーライスなどを食べていました。
また、かなりの愛煙家であることも有名です。絶え間なしに煙草を吸い続け、プレゼントに何が欲しいか尋ねられたとき「バケツのような大きな灰皿」と答えたエピソードもあります。

腹部大動脈瘤をなぜか「坐骨神経痛」と思い込む

1993年5月、司馬は編集者へ宛てた手紙の最後に「小生、少し疲れ氣味です。疲れると軽い坐骨神経痛が出ます。」と、初めて痛みについて記しました。しかし、この痛みは坐骨神経痛などではなく、腹部大動脈瘤が神経を圧迫して生じた痛みだったのです。1年後には「ザコツさえなければ」と、痛みが耐え難い状態になっていましたが、検査をかたくなに拒み、鍼による療治などの対症療法を受けていました。

そして、1996年2月10日未明、大動脈瘤が破裂して突然倒れます。本人を説得し手術が行われ、はじめて腹部大動脈瘤であることが判明しますが、すでに意識不明の状態でした。その後、12日に眠るように息を引きとりました

  • 参考:「司馬遼太郎という人」和田宏著(文藝春秋)
  • 「街道をついてゆく」村井重俊著(朝日新聞出版)
  • 「腹部大動脈瘤破裂―司馬遼太郎氏の病歴から学ぶ―」上山 武史; 日血外誌 2006; 15(1):1-2.